「釣った魚」に餌はいる。大切にすることが幸せに繋がる
世の中には「釣った魚に餌はいらない」と宣う男性が多いこと。
でも、これは、魚を食べるのが前提。
女性を魚に置き換えるのとは違います。
釣りたてピチピチの魚は美味しい。
餌も要らず尚且つ美味しい。
若い何も知らない女性は少量に餌で食いついてくれるかもしれない。
日本の男性は若さを好む傾向があります。
30代はおばさんと位置付け鮮度の落ちた魚になってしまう。
男性も10代後半や20代はもてはやされる。
が、30代の働き盛りで脂の乗った男性も魅力的に見える。
女性も30代は色気盛り。
共に、食べ頃、食べられ頃ではないだろうか?
しかし、年齢を重ねて増す旨味もある。
人間なら酸いも甘いも経験して包容力が増す。
包容力が増す反面、体にも衰えが・・・
それは、男女、お互い様だ。
その、包容力に胡坐をかいて、「釣った魚に餌はいらない」と言い出す。
「釣った魚」こそ餌はいる。
「釣った魚」に餌をあげれば家庭円満になると思う。
それを怠って、月収や年収が増えた男性は、若い女性に走る。
とかく男性は、昔、豊になると「飲む・打つ・買う」に走ると言われた。
世の中の男性全てとは言わなが多数だろうと思います。
そんな方向にお金を使うなら「釣った魚」にしっかり餌をあげれば全て自分に返ってくるのに。
米国や先進国では、結婚はパートナーを愛し続けること。
いくつになっても営みもある。
結婚=愛
日本では子供のため離婚に至らないが、先進国では立派な離婚事由。
「釣った魚」の餌は絶えず必要です。
「釣った魚」に餌をあげない人は誰に対しても一緒であろう。
「釣った魚」は決して自分の者ではありません。
「釣った魚」にどれだけ餌をあげらるかで男性の価値を上がると思います。
女性は、「釣った魚」は男性でもある事をお忘れなく。
「釣った魚」を比喩してしまい失礼致しました。