雨のち晴れ人生なんてそんなものNo10 子供達と離れ離れの旅立ち
Kさんが暫く来ないとわかると元旦那のストーカー行為が復活します。
私の部屋の窓の所にスーパーの買い物かごを裏向けでたくさん放置されていたのが見つかりました。
まるで、部屋を覗こうとしたように。
しっかりカーテンを閉めていますので覗けないと思うのですが。
そんな事をブログに書いていました。
すると、高知の民宿で住み込みの従業員を探していると言う情報を得たのです。
しかしながら、子供3人も連れての住み込みは不可のようです。
1人だけならと言うことでした。
そうこうしているうちに、長女の高校や次男の中学校で待ち伏せをする私が車を運転しているのを見かけるとカーチェイスをしかける元旦那。
その上、人影を感じて振り向くとKさんのような人がいる。
加えて無言電話。
精神的に追い詰められて行きます。
それを見ていた長男。
「母さん高知に行くか?」と言い出したのです。
「俺は会社の寮に入る。長女も高校卒業するまで一緒に。母さんは次男と高知に行け。半年もしたらあいつらも諦めるやろ。その後また、一緒に住めばいいやん」でした。
その言葉で決心ができました。
しかし、子供達と離れるのは寂しかったです。
ずっと、辛い事も苦しい事も一緒に頑張ってきましたから。
勤めていたラウンジを辞めなければいけません。
その時、私の話しを親身に聞いてくれる1人の同い年のお酒を飲んでもも変わらないいつもニコニコしている男性がいました。
私が店に入る時は必ず来てくれる穏やかなHさんです。
またの再開を約束して高知に行きました。
このHさんは後に私の最愛のパートナーになる人です。
高知に行く当日がやって来ました。
和歌山からフェリーで海を渡るのです。
離れ離れになる寂しさから泣きそうになります。
見つからないように早朝、行動に移します。
色々な思い出が浮かび、別れが辛くなります。
荷物を積み込み車のドアを閉めた時「母さん、体に気をつけてな。」と言われます。
胸がいっぱいになり「もういかん」と言いたくなるのを我慢。
振り向かず車を走らせました。
離れ離れになるのが辛くて辛くしょうがない。
涙を必死で堪えます。
が、フェリーに乗り海を見ていると止めどなく涙が出ます。
この時ほど元旦那とKさんが憎いと思ったことはありませんでした。
そして、ここで最大のミスを侵してしまいます。
諦めてくれると思い「高知に行きます」と貼り紙を残したのでした。