仕事と母親どっちが大事?何も知らないくせに
私は一人っ子です。
このブログの「雨のち晴人生なんてそんなもの」でも書いたように両親が嫌いでした。
しかし、年老いた親をほっておけないこともあり病気の時には手助けしました。
色々あって和歌山に帰ってきて暫くした頃、父親が体調を崩しました。
かかりつけの病院へ連れて行くと、大きな病院へ連れて行って下さいと言われました。
それをもって県立医大へと行きます。
病気の説明の時、違和感を持った私は、父親を診察室の外に出しもう一度、医師に尋ねました。
すると、膵臓がんのステージⅣであちこちに転移していると。
もって3ヶ月だと。
それを、胸の奥に収め普段と変わらぬ態度で接しました。
母親にこっそり告げると「あっそ」の返事でした。
そして、父親に皆で旅行に行きたいと言い出したのです。
父親は何かを感じたのでしょう。
二つ返事で私に予約を取るように言われました。
両親共に体も弱り行った先々で手を貸さないといけないこともしばしば。
タクシーを待っている時、椅子が一つしかなく父親を座らせようとした時、母親が「あんた立っつとき」と自分が座るのでした。
父親が「がん」と知っていながら。
私は足が悪いからと言う母親は常に高圧的な態度で父親に接します。
ふと、父親はなんでこんな母親と結婚したのだろう?と思いました。
旅行から帰って直ぐ父親は入院することになります。
その時、一切の世話を私にさせ自分はパチンコなど遊び惚けるのでした。
危篤の知らせが届いた時、私がやったのはまず、銀行の父親名義の貯金の解約です。
冷たいのかもしれませんが、亡くなると銀行は凍結せれます。
当時、シングルマザーで子供3人いる私には出せるお金がありません。
まして、母親はあったらあっただけ使う人。
家にだってないからです。
父親は亡くなり、母親は1人残されました。
が、面倒みるつもりなどなっかた私は介護施設へと母親を入居させました。
好きなパチンコもできなくなります。
父親は地方公務員でしたので、介護施設のお金は年金で賄えます。
が、こずかいが欲しいと言う母親。
病院で使うところなど無いのに。
そんな母親ですが、介護施設の職員の方が最近、弱って来てるとおしゃってます。
たまに、来てあげて下さい。と言われました。
しかし、今までの仕打ちから行っていません。
冷たいのかもしれません。
しかし、あったかいベットに3食付き。
それだけでいいのではと思います。
ずっと、ひもじかったあの頃を思い出しせめてもの抵抗です。
けれど、心のどこかで、慕っている自分もいます。
もう何年もあってない母親。
私の事など忘れているでしょう。
今日も病院から電話があります。
「仕事と母親どっちが大事?」と。
なんいも知らないくせに。と思いつつも悩んでいる自分がいるのです。