雨のち晴人生なんてそんなものNo5 実家での針の筵
雨のち晴人生なんてそんなものも5回目になります。
離婚調停に家庭裁判所に行きます。
こちらには、家庭内暴力、DVの証拠を充分です。
私は、離婚したい!
私の要求は子供3人の親権。
養育費1人につき成人まで1ヶ月2万円、でした。
元旦那の稼ぎから言うとそれが精一杯だろうと思ったからです。
やりとりは、DV夫なので、別室で調停人さんが行ったり来たりしてくれます。
何故かすんなり離婚に応じてくれました。
ほっとしたのも束の間。
翌日、実家近くの公園で待ち伏せしてたのです。
公園の駐車場にいると実家がよく見え出入りがわかります。
私を見るなり「昨日の離婚は無しにしろ!」と言い出したのです。
そして、「俺のどこが悪いんや!なんでや!」と泣き出す始末。
私は、手首を掴まれ離してくれません。
「警察呼ぶよ!」
警察には相談済みでした。
「お前の親と長男が一緒になって俺を悪者にした。覚えておけ!」と捨てセリフを吐き手首を離しました。
翌日から、ずっと、公園の駐車場にいます。
毎朝、うんこが玄関に置かれ悪臭を放ちます。
危ないので長女と次男を学校へ送り迎え。
長男は仕事へ。
実家に戻ると「毎日臭い。うんこなんか置かれて。早く出ていけ!お前が居ると問題ばかり起こす。パチンコも危なくて行けやん」と両親に言われます。
暫くすると、「光熱費がバカにならん!」とも
しかし、まだお金が貯まりません。
子供達にはそんなことを言わないのがまだ救いでした。
昼間は危なくて仕事に行けないので、知り合いのラウンジで働き始めました。
ラウンジが終わるのが夜中2時。
帰ってお風呂に入ると5時前。
子供のお弁当、両親を含めた6人分の朝ご飯を作り、6人分の洗濯、掃除、夕食の買い出しなどしてからやっと11時頃寝ます。
再び15時過ぎに起き、長女と次男を迎えに、夕飯の準備。
片付けは長女がやってくれます。
少しカ仮眠を取った後、19時過ぎに出勤という生活でした。
そのうち、私の両親は長女もいびり出すのです。
洗いものが雑だとか、女のくせに気がきかない。
冬だというのに、光熱費がもったいないから洗いもの、水仕事はお湯を使うなと言い出し、長女の手はあかぎれとしもやけになります。
両親の嫌味は日に日にエスカレート。
私は、胃がキリキリ痛み体重はみるみるうちに減少します。
しかし、三度のご飯だけは子供3人に食べさせてくれる。
それだけが救いでした。
私は、一日でも早くお金も貯めるのに必死でした。
長女に謝りつつ「もう少しだから」と言うしかありません。
長男と次男もそんな両親のイビリに気づき助け舟を出してくれます。
3ヶ月と少しでなんとか家を借りるお金ができました。
引っ越しの時両親に「役立たず達が居なくなってせいせいする。ほんま女は役にたたん、金食い虫や!」と言われました。
引っ越しして平和だったのがほんの数日でした。
元旦那のストーカーと嫌がらせが拍車をかけます。