【驚嘆】僅かな資金・最高のパートを得て夢の実現へ・居酒屋開業
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
自分の店を開店させた日です。
このお題では2度目の投稿になります。
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
『 子供達と離れ離れに!今迄で一番辛い日』でも投稿しています。
逃亡先からの帰郷
『 子供達と離れ離れに!今迄で一番辛い日』で書いたように、DV/家庭内暴力の夫と離婚。
ストーカーになった元夫からの逃亡の末、地元に帰って来ました。
その時は既に40代後半になっていました。
若い頃からの夢、お店を経営したい!なんてその時はまだただの『夢』でした。
先立つお金などなく、生活に不安さえありました。
長男はそのまま一人暮らしを続け長女、次男の3人暮らしが始まったからです。
長女は高校を卒業し、就職探し私も同じく職探しをしなくてはいけない状態でした。
次男はまだ中学2年生です。
子供を養うため昼はスーパーの惣菜コーナーで『お寿司』を作り夜はスナックにお手伝いに行きました。
そこで、一人の男性と出合います。
『夢』に一気に加速
その男性は本職は「左官屋」さんですがお家の改装とかもできる人でした。
元夫は、養育費をまともにくれなかったので、裁判所の手続きを経て、元夫の職場から直接銀行振込にして貰っていました。
元夫は私より一回り以上年上で定年退職になります。
そこで、元夫の会社から退職金から纏めて支払いたいがそんなにたくさんあるわけでないので1/3払いたいと言ってきたのです。
その時私は35万円頂きました。
それで元夫とは確実に縁を切ったのです。
普通なら35万円でお店など到底無理です。
しかし地元、和歌山は田舎ですからできたのかもしれません。
協力者を得て
パート先の近くに店を開業させるのにいい物件がありました。
そこでやりたい!
私は「左官屋」さんに夢を話しました。
その「左官屋」さんに全面協力を得たのです、
解体工事もしていたのでシンクやら廃材もあります。
しかも、毎日の晩御飯を作るだけで改装してくれるようになったのです。
物件の内覧にいきました。
契約に半分のお金がいりました。
が、椅子、冷蔵庫、シンクもどこかのお店の解体工事でたからと持って来て取り付けてくれ、水道工事、内装までも「左官屋」さんが仕事の合間にやってくれました。
あとは、食器類や調理道具を100均で揃えます。
手元に10万円の運営費用まで残りました。
「左官屋」さんは晩御飯を食べると帰らなくなりそのまま同棲生活になりました。
夢の実現へ
こうして店をオープンさせたのでした。
文章では簡単に書きましたが、私の中では葛藤もありました。
子供を養っていけるのか?
そんなはした金で店をできるのか?
その後続けられるのか?
しかし、そんな思いをクリアーにしてくれた「左官屋」でした。
オープン前日、子供達3人と「左官屋」さんでお店でお祝いをしました。
何も聞かされていなかった長男はとてもびっくりしていました。
びっくりしたのはお店だけでなく「左官屋」さんの存在もですが。
オープン当日そこそこのお客様の入りでした。
しかし、私のお料理を喜んでくれるお客様の顔を見ていると感無量でした。
人生の苦労が報われた瞬間でした。
小さな箱ですが、私のお城です。
私はその場所で3年移転して6年半居酒屋を営業します。
徐々に電気製品や調理器具も増やしていきました。
僅かな資金でも『夢』を実現できたのは「左官屋」さんの存在があったのだと思います。
『夢』は諦めずに僅かなチャンスでも掴むことだと思います。