言論の自由は日本文化を否定しかねない?
先日1941年12月7日(ハワイ時間)真珠湾攻撃がありましたね。
悲惨な戦争へと突入します。
「富国強兵」で卑怯な攻撃だったかもしれません。
しかし命の取り合いに卑怯はあるのでしょうか?
卑怯は戦争自体だと思います。
アニメでも命の取り合いの描写があります。
今は、そんな描写は、一部のママが黙っていませんが。
「鬼滅の刃」遊郭編でも鬼を殺す描写に異議を唱える方が多いので。
言論の自由とは言え一つの作品として見れないのでしょうか?
「呪術廻戦」だってそうですよ。
ホラー映画なんて放送できなくなります。
アニメは一つの芸術作品。
素晴らしい歴史が詰まっています。
もし世の中から「悪」がなくなったとします。
人間さえいなくなるでしょう。
人間は生まれた時から「三大欲求」睡眠欲・食欲・性欲があるのですから。
全ての「悪」を取り去った世界は神と仏しかいなくなります。
神もゼウスのように性欲絶倫もいます。
そのお陰で世の中は真っ暗闇にって神様がそんなみんなが嫌がることをしますか?
「古事記」には他にも神様がそんなことする?ってことが記されています。
須佐之男命は、クシナダヒメを助けるために八岐大蛇と戦った時は体を斬り始め中から草薙の剣が出て来たなんてグロテスクでもあり神のすること?ってなります。
遊郭否定は、日本文化も否定することです。
話しが違う方向へ進みましたが、命の取り合いに卑怯はないのです。
アニメよりヤンキー映画の方がもっとグロテスクです。
鼻血ダラダラのお顔ボコボコです。
喧嘩もなんでもありですから。
真珠湾攻撃により始まった戦争ですが、それにより原子力爆弾と言う罰を与えられました。
どちらが卑怯なのか?
卑怯なのは戦争と言う行為。
卑怯なのは当時、政治を動かした権力者。
言論の自由もいいですが、そこに欲や自己満足が加わるととんでもないことになるのです。
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