パソコンの普及でなくなった職業 これからも増えるでしょう
私は高校のデザイン科を卒業しました。
当時コンピューターはタンス程のでかさでコンピューター室と丸ごと一部屋使っていた頃です。
ノートパソコンなんてありません。
携帯電話すらありませんでした。
最初に就職したのは、大手スーパーの販売促進部
肩書きはグラフィックデザイナーでした。
今のようにパソコンはありませんので手書きです。
烏口と呼ぶ、線を引く道具。
線を引く道具には、溝さしがありました。
片手で物差しに入っている横溝にガラス棒をあて筆を持ち線を引きます。
知らない方もたくさんいらしゃるとおもいますが、物差しの横溝はそんな役目があります。
手書きのレタリングは、雲形定規を使いました。
スーパーですからPOPも手書きでした。
しかし、現在ではパソコンが全てやってくれます。
殆ど手書きなんてないのではないでしょうか。
店では、バブル期を知っている36歳ですが・・・
次にやった仕事がテキスタイルデザイン兼スクリーントレーサーでした。
この仕事もパソコンにとって変わられています。
で、堅めの仕事から一転。
観光地の芸者です。
バブル期でしたから観光バスが列を成して続々と観光に来ます。
座敷は1席、2時間。
手取りは7800円と言う破格にも拘らずお金が余っている時代、ご祝儀として当時の聖徳太子様を数枚下さる。
座敷を掛持ちすると日銭が10万円になることもありました。
高級料亭さんのお座敷にも呼んで頂きました。
お客様は地元のお金持ち。
クルーザーやヘリコプターにも乗せて頂き高級ディナーを食べさせて貰ったものです。
しかし、時代と共に、バブルも弾け、観光地も廃れて、置屋もなくなりました。
そう、私がやった仕事はなくなったのです。
「雨のち晴れ人生なんてそんなもの」の連載の中にも書いてます。
水商売もやってきました。
スナック・ラウンジ・クラブ
しかしながら、今主流はキャバクラ。
いずれは、廃れてしまう可能性も無きにしも非ずです。
が、殿方がいる限り女の子のお店は無くならないでしょう。
そんな私が今、居酒屋をしながらパソコンの仕事をしている。