雨のち晴人生なんてそんなものNo1 私は両親が嫌いでした
「雨のち晴人生なんてそんなもの」私のブログにつけているタイトルです。
苦労の連続でしたなんて言いません
が、やはり、恵まれていなかったようにも思います。
少しずつここに書いていきたいと思います。
記憶にあるのは保育園の頃です。
父方の祖父母の近くに住んでました。
両親は共働きで直ぐ近くに保育園がありました。
両親は朝早く仕事にいきます。
私は50円持たされ祖父母の家に…
しかし、また来たんかっ!怪訝そうに言われます。
子供ながら、好かれていない事に気づき、誰もいない保育園に1人でいきます。
大きな積み木で四方を囲いその中に入って皆が来るのを待ちます。
一人っ子なので保育園が終わって家に帰っても誰もいません。
寂しくて祖父母の家に行くと、何しに来たんや!みたいな事を言われまた、家に帰り1人で両親の帰りを待ちます。
祖父母は機嫌が悪いと私に手をあげることもありました。
そんな時、普通なら両親が慰めてくれたりするのですが、母親に、悪さでもしたんやろ。お前が悪いと言われました。
小学校に入る頃、父が地方公務員になり、少し経済的な余裕が出たのだと思いますが、母親が仕事を辞め専業主婦になりました。
これで寂しくない。と思ったのも束の間、母親のパチンコ通いが始まります。
やはり、私は1人で留守番でした。
夕飯など作っていません。
父親も仕事帰りにパチンコに行きます。
その帰り父母は安いうどん屋で夕食を済ますのですが、今から来いと呼んでくれる時はいいのですが、ない日もありました。
お金もないので私の友達は教科書でした。
図書室で毎日のように本を借り読みます。
両親は、女のくせに本ばかり読むとか勉強ばかりするとか言って怒られました。
中学生になっても両親のパチンコ狂いは続きました。
ある日、お腹が減ってカップラーメンを食べ、凄く怒られた記憶があります。
私は両親が嫌いでした。
私はクラブ活動に夢中になります。
美術部で絵を書いている時が心が休まりました。
高校生になりバイトをして自分の小遣いができました。
家に帰るのは寝るだけ。
そんな私に、母は「22時より遅くなるなら帰ってくるな。どこかで泊まって来い」と言うのでした。
高校も「女のくせに」と言われました。
卒業後はビジュアルデザイナーをしていましたが、バイトで行った観光地の芸者の仕事が気に入り転職。
しかし、心のどこかでいつも寂しさを抱え人恋しかったのです。
早く結婚したい。
そうすれば1人じゃなくなる。
そう思うようになり、お見合いで知り合った10歳年上の人とそれほど好きでもないのに結婚しました。
これが新たな苦労の始まりでした。
続きはまた書いていきたいと思います。
今は、この選択が間違いだったと気づきます。
当時、私は21歳でした。
現在の幸せを掴むまでの道のりは自分で言うのも変ですが波瀾万丈だったかもしれません。
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— 和風屋 桜乱 着物を愛する者として (@EnjoyLi50016860) 2022年1月18日