「親ガチャ」=「人のせい」人生は自分次第
最近「親ガチャ」と言う言葉が目につきます。
「親は自分で選べない」「どんなろころに生まれるかは運任せ」などからガチャを連想させるところからついたようです。
痛ましいニュースも多くなるほどねっとおもいますが…
反対に「子ガチャ」も一緒です。
子育てがひと段落した私にはこちらの方が重くのしかかります。
仏教から言うと子の方が親を選んで生まれ来た。
方になります。
「子ガチャ」は現在の医学で障がいを持つ子を妊娠の段階でわかるようにもなって来ています。
中絶もできます。
しかし、お腹に宿っている子を葬ることは母体にも何らかの悪影響があります。
五体満足で生まれて愛情を注いだとしても悪事に走る子だって出てきます。
引きこもりニートになって年老いた親が面倒みている方もいます。
普通は、自分の子を一生責任を持つことになります。
事件などを起こすといい年をしたおっさんになった子のことでも「どんな育て方をした」と罵られるのです。
成人そていても一生つきまといます。
「親ガチャ」は、虐待などのニュースが多すぎる。
シングスで再婚相手や交際相手よる虐待も多い。
女である前に母であれ、男である前に父であれ。
圧倒的に多いのが前者。
確かに思いますが、責められるのは女性ばかり。
別れたとはいえ、父親はどうしてるのか?と問題になる事がすくない。
男女平等で家事分担などと言ってもまだまだ、子供の件に関しては、全責任は女性にあるかのように報じられます。
一生責任を持たなければならないのに「親離れ」「子離れ」が必要だと言う。
矛盾していますね。
日本では、血の繋がりを大変重要視します。
天皇の継承問題もそうです。
女性天皇は血筋がどうとかで。
私は、「親ガチャ」はあるとしてある一定の年から自分で人生を切り開けると思います。
が、虐待などで亡くなった子にはそれさえ与えられないのも事実です。
「親ガチャ」は親を恨み「子ガチャ」は子を疎んじる。
そんな負の感情からくる言葉です。
人生マニュアル通りにはいきません。
大変だけど面白いのです。
慈しむ心を忘れずに恨まず、自分の置かれた境遇で頑張るしかないのです。
恨みは成長に繋がらないです。
ガチャのリセマラなんて考えているより自分で強くしていくのが良いのです。
ガチャのせいにしている間は人生楽しくないし頑張ることもしない。
「親ガチャ」=「人のせい」だと思います。
結局、自分の人生自分でしか切り開けません。